平成12年(2000年)、それは世界がミレニアムに沸いた20世紀最後の年であり、定山渓グランドホテルの創業者、濱野邦喜が人生の幕を下ろした年となりました。病に倒れる2日前まで3館のホテルの見回りを欠かさず、一日の終わりには定山渓グランドホテルの開店前のクラブのカウンター席でウイスキーの水割りを軽く飲むのが日課だった邦喜ですが、2月12日、救急車で病院へ運ばれると、二度とホテルへと戻ることはありませんでした。自らの最期を悟ったように目を閉じ、3月30日午後1時7分、妻利子、娘由貴子に見守られながら永遠の眠りにつきました。享年79歳。さらに追い討ちをかけるように翌日の3月31日、洞爺湖の有珠山が23年ぶりに噴火します。かつて万世閣の社長であった兄豊を亡くした時、大学生でその跡を継いだ甥浩二の後見人となった邦喜は、23年前(1977年)の噴火の時「何があってもそこから逃げては行けない。もし噴火で命を落としたら、それは天命のようなものである。」と浩二に伝えましたが、その言葉が2度も現実となりました。未来を託された浩二へ祖父増次郎、父豊からのメッセージだったのかもしれません。
邦喜の葬儀は定山渓グランドホテルと萬世閣合同の社葬として、4月1日、定山渓グランドホテルにて執り行われました。弔問客は後を絶たず、供花は会場からロビー、玄関にまであふれるほどで、邦喜の遺徳の大きさを物語るものでした。喪主を務めた利子は、「信念を曲げない人でしたから、周囲の人からは煙たがられているとばかり思っていたのに」と驚きを隠さず、長女由貴子は後に出版した定山渓グランドホテル55年史「遥かなる道」のあとがきで、「父の背中にはいつも孤独と責任感が漂っていた。それは経営者としての覚悟でもあったことを知った」と綴っています。後に邦喜のもとへと旅立った2代目利子と3代目由貴子とともにそれぞれの想いをもって、定山渓温泉の繫栄を見守っているのです。
邦喜が生涯をかけて築き上げた3館の温泉ホテル。昭和21年(1946年)の富久井旅館に始まり、福住旅館、定山渓グランドホテル、ニューグランドホテル、佳松御苑と歴史を重ねた創業地定山渓温泉にはその事業と想いを受け継ぎ、令和3年(2021年)初夏、新たに「グランドブリッセンホテル定山渓」が建ち、思い出の柱時計とともに時を刻み始めます。邦喜が掘り当てた浜野1号泉は「宝恵の泉」として新ホテルの湯舟を満たし、邦喜が愛した燕子花図の陶版やロビーで使われた天然石のトラバーチンが移設された新ホテルでお客様をお迎えします。独創性に富み、時代の先を捉えながら、心からのおもてなしに徹した邦喜。ハマノホテルズは、古き良き伝統を大切にしながら常に進化し、まさに温故”湯”新の想いをもって、新しいホテルを未来へとつないでまいります。