定山渓グランドホテル、定山渓ニューグランドホテルの二大温泉ホテルを完成させた邦喜は高価格化路線を突き進んでいましたが、昭和50年(1975年)になると、戦後一貫して順調に伸びてきた北海道観光は全国的な不況の波に飲み込まれていきます。「このままでは定山渓温泉はさびれてしまう」という危機感を抱いた邦喜はいち早く、他のホテルとの差別化に取り組み、グランドホテルで「世界のショー」としてスペインのフラメンコや、台湾から民族舞踏団を招くなど、娯楽色を強めていきます。そしてこの成功によって発想を転換し、定山渓温泉を家族で楽しめる観光地にすると決意します。社員の手作りで定山渓くま牧場には子供が遊べる施設を、自然林にはアスレチック遊具を配置しました。ホテルにはゴンドラなどを備えた700席のレストランシアターを増築。温泉は滝や砂風呂、流れるプールや子供用の温泉などに加え、熱帯魚が泳ぐ水槽も備えた1500平方メートルのジャングル風呂を新設し、楽しく遊ぶ温泉を全面的にアピールしていきました。
全国の旅行客から高い評価を得るようになった定山渓グランドホテルは宿泊施設だけでなく、周辺の整備にも邦喜の新しいアイデアを盛り込んでいきます。庭園にはバラの花壇や自然石を組んだ池、三段に流れ落ちる滝などを作り、高さ4メートルまで吹き上がる噴水は12通りに変化するだけでなく、夜は7色に輝く仕掛けまで施しました。そして、邦喜は毎朝6時に2つのホテルの中を一周し、気づいたことを細かく、スタッフに指示。夕方、再び館内を訪れ、指示が改善されているかどうかを確認する”見回り”を生涯、休むことなく続けました。何事にも妥協を許さず、自身の家のように愛着をもって、2つのホテルを育てていった邦喜の思いの丈が伝わってくるエピソードといえます。