昭和29年(1954年)2月、遂に自家泉源を手にし福住の経営も軌道に乗った邦喜は、新ホテルの建築へと歩みを進めます。ところが、邦喜の前に立ちはだかる大きな壁がありました。定山渓温泉の下町と呼ばれたメイン通りはすでに旅館が立ち並び、「福住旅館」には増築するだけの土地もなかったのです。しかし、その程度の苦難をものともしない邦喜は下町から離れた豊平川の対岸、雑木と熊笹が生い茂る原野に目を付けます。そこはまさに、ジャングルとも言える未開の地。泉源発見以上に無謀な挑戦が始まりました。
「あんな場所にホテルを建てるなんて、濱野さんももうおしまいだ」。そんな陰口にも耳を貸さず、邦喜は密林の原野でのホテル建設を強行します。そこは何人もの所有者がいる複雑な土地。買収交渉も困難を極めましたが、邦喜は約1年をかけて、これを克服。昭和30年(1955年)7月、資本金1,000万円で株式会社グランドホテルを設立し、晴れて社長に就任しました。35歳でした。「グランドホテル」の由来について、詳しい資料は残されていませんが、当時、全国的に人気のあった「グランド」の名称に強い憧れがあったのでしょう。定山渓では初の「グランドホテル」はこうして邦喜の手によって誕生したのです。
新しい泉源の泉質はナトリウム-塩化物泉(無色透明 弱カン味、無臭)。源泉温度は97度と高温で、毎分350リットルの湯量は誰もがうらやむ良質なものでした。邦喜が自ら掘り当てた泉源の噂は当時、自家泉源を持っていなかった旅館へと広まり、川の至る所で掘削が始まりました。定山渓温泉のホテルや旅館がそれぞれ自家泉源を持つことになったのは邦喜の熱い思いが招いた結果といえるのです。邦喜が執念の末に発見した泉源は「浜野1号泉」として、その後、定山渓グランドホテル瑞苑へと受け継がれ、現在も絶えることなく、こんこんと湧き続けています。