ハマノホテルズ │ HAMANO HOTELS

温故湯新

〜創業の歴史と新たな夢への軌跡〜

想いをつなぐ。軌跡寫眞館 想いをつなぐ。軌跡寫眞館

定山渓の古きを温ね、新しいホテルの姿に思いを馳せる― 定山渓の古きを温ね、新しいホテルの姿に思いを馳せる―

昭和21年(1946年)、定山渓で旅館を始めた。その後初代・濱野邦喜(はまのくによし)はみずから温泉源を掘り当て、定山渓グランドホテルを開業しました。今、新たな夢に向かう私たちのホテルの軌跡を慶応2年(1866年)の開湯から2世紀となる定山渓温泉の歴史とともにご紹介いたします。 昭和21年(1946年)、定山渓で旅館を始めた。その後初代・濱野邦喜(はまのくによし)はみずから温泉源を掘り当て、定山渓グランドホテルを開業しました。今、新たな夢に向かう私たちのホテルの軌跡を慶応2年(1866年)の開湯から2世紀となる定山渓温泉の歴史とともにご紹介いたします。

初代・濱野邦喜(はまのくによし)
未開の地で新事業に挑む 〜昭和32年夏、新ホテル誕生〜 未開の地で新事業に挑む 〜昭和32年夏、新ホテル誕生〜

密林の原野で新築着工

昭和29年(1954年)2月、遂に自家泉源を手にし福住の経営も軌道に乗った邦喜は、新ホテルの建築へと歩みを進めます。ところが、邦喜の前に立ちはだかる大きな壁がありました。定山渓温泉の下町と呼ばれたメイン通りはすでに旅館が立ち並び、「福住旅館」には増築するだけの土地もなかったのです。しかし、その程度の苦難をものともしない邦喜は下町から離れた豊平川の対岸、雑木と熊笹が生い茂る原野に目を付けます。そこはまさに、ジャングルとも言える未開の地。泉源発見以上に無謀な挑戦が始まりました。

夏はぬかるみで、豚小屋が建っているような野地を手に入れたのだ

手付かずの原野に挑む

(株)グランドホテル設立

「あんな場所にホテルを建てるなんて、濱野さんももうおしまいだ」。そんな陰口にも耳を貸さず、邦喜は密林の原野でのホテル建設を強行します。そこは何人もの所有者がいる複雑な土地。買収交渉も困難を極めましたが、邦喜は約1年をかけて、これを克服。昭和30年(1955年)7月、資本金1,000万円で株式会社グランドホテルを設立し、晴れて社長に就任しました。35歳でした。「グランドホテル」の由来について、詳しい資料は残されていませんが、当時、全国的に人気のあった「グランド」の名称に強い憧れがあったのでしょう。定山渓では初の「グランドホテル」はこうして邦喜の手によって誕生したのです。

建築途中の定山渓グランドホテル

良質な浜野1号泉

新しい泉源の泉質はナトリウム-塩化物泉(無色透明 弱カン味、無臭)。源泉温度は97度と高温で、毎分350リットルの湯量は誰もがうらやむ良質なものでした。邦喜が自ら掘り当てた泉源の噂は当時、自家泉源を持っていなかった旅館へと広まり、川の至る所で掘削が始まりました。定山渓温泉のホテルや旅館がそれぞれ自家泉源を持つことになったのは邦喜の熱い思いが招いた結果といえるのです。邦喜が執念の末に発見した泉源は「浜野1号泉」として、その後、定山渓グランドホテル瑞苑へと受け継がれ、現在も絶えることなく、こんこんと湧き続けています。

泉源を見つけた時、あまりの嬉しさに馬鈴薯を茹でて、 食べたことを思い出すなあ

永く受け継がれることになる泉源「浜野1号泉」